世界でも多くあるサッカーとナショナリズムが結びついた事例
「日本はすごい。日本は世界から尊敬されている。誇り高いニッポン」というような、素朴な愛国主義、つまり香山リカがかつて無邪気に日の丸をふりかざすサッカーファンをさして言った「ぷちナショナリズム」は、前述の過程をたどる。
そして、映画『グレムリン』に登場する愛らしい不思議なペットの「ギズモ」が深夜に水を飲んでしまったかのように、サッカーというエンターテインメントの副作用でモンスター化したわけである。愛する誇り高きニッポンを汚す彼らこそ狂気なのだ、と。
もちろん、W杯が信管となって爆発したとしたとはいえ、もともとあった経済やテクノロジー(ネットのこと)や地政学的なバックグラウンドはその火薬を大量に用意していたものだ。W杯があったとしてもなかったとしても、この爆発は起きていただろう。しかし、実際にこの誘爆のはじめはサッカーであった。
サッカーの世界にはそういう例は多々ある。ユーゴスラビアの内戦と分裂は、スタジアムでのフーリガン同士の暴動が導火線となった。「アラブの春」(2010年から2012年ごろにアラブ各国でおきた大規模反政府デモ)のなかで勃発したエジプト革命は、首都カイロの名門サッカーチームのサポーターが雌雄を決したことから、この革命を『ウルトラスの革命』と呼ぶ人もいる。
80年代にイギリスやドイツでネオナチや排外主義の右派がオルグの中心としていたのはサッカースタジアムであった、等々。先日、トルコでは軍部によるクーデターが起きたが、これに先立つ2013年には反エルドアンの大規模なデモやオキュパイ(街頭占拠)がイスタンブールで起きている。これを主導したのは実はイスタンブールを本拠地とするガラタサライをはじめとするサッカーサポーターである。
このようにサッカーはナショナリズムと強い親和性がある。それはなぜなのか。