ネットの急速な発達、そこに溢れた韓国の八百長疑惑を批判する声
その起源について、サッカージャーナリズム側から問題提議し、また論評するものは、これまでほとんどなかった。サッカーファンにとっては、そういういわばスポーツの文脈とは離れたもの、またはそれを汚すようなダークサイドに触れたくなかったということもあるからだろう。そういう意味で、拙著『サッカーと愛国』(イースト・プレス)は、おそらく初めて、そのメカニズムを考察したものであるはずだ。
この詳細については拙著に記しているが、ここでは簡単に次のような見取り図を描いてみる。
【1】
90年代後半から2000年にかけて、中韓などの東アジア諸国が経済的に急進する一方、日本はバブル崩壊から始まる「没落」が誰の目にも明らかになってきていた。
【2】
インターネットの隆盛によって、これまで東アジア諸国の日本に批判的な言説、いわゆる『反日』が、ネットを通じてフレームアップされるようになってきていた。これらが折からの戦後民主主義歴史観にアンチを唱える「歴史修正主義」と結びついた。また旧来からネットと親和性が高かった匿名の差別行為とも結びついた。
【3】
一方で、90年代からプロ化され、海外へ雄飛していく日本サッカーは日本社会にとって数少ない『坂の上の雲』の物語だった。W杯初開催となる2002年の日韓大会は、いわばこのクライマックスだった(編注:初の勝ち点、初勝利、初の決勝トーナメント進出と日本サッカーにとって極めて重要な大会だった)。
【4】
このクライマックスに、韓国の審判買収があったといわれる「誤審」騒動があった。サッカーファンは、古くから続いていた日韓のライバル意識をもとに、これを批判した。しかし、これを報じるメディアはほとんどなく、むしろ日韓友好を唱えるだけであった。このフラストレーションがネットに流れ込んだ。
【5】
特に2002年は、インターネットの常時接続や携帯でのアクセスが爆発的に増えた年であった。職場や学校以外のプライベートでネットに触れるようになって、インターネット民は急増した。彼らが流れ込んだのは、匿名掲示板で、そこにあったのはW杯の日本の活躍と韓国の八百長を糾弾する声であった。