デメリットもあるOA招集
最年少の19歳で招集されたMF井手口陽介は、強心臓の持ち主としても知られている。もちろん敬意を込めているものの、年上の選手を先輩と思わないような言動がプラスに作用すると藤春は笑っていた。おそらくは同じことを、オーバーエイジの3人で会食したときにも話したのだろう。
オーバーエイジは諸刃の剣でもある。不足している経験や力を補い、チーム力をあげる一方で、どの大会でも合流は原則として本大会直前となる。チームは生き物と考えれば、既存のメンバーと融合させていく過程でちょっとでも歯車が狂えば、チームを瓦解させる発端にもなりかねない。
オーバーエイジ制度が創設されて以降の歴代の五輪代表チームを振り返れば、1996年アトランタ大会の西野朗監督(現日本サッカー協会技術委員長)と、2008年北京大会の反町康治監督(現松本山雅FC監督)はともに招集していない。
逆にGK楢崎正剛(名古屋グランパス)、DF森岡隆三(当時清水エスパルス)、MF三浦淳宏(当時横浜F・マリノス)を招集し、ベスト8進出を果たしたフィリップ・トルシエ監督は「オーバーエイジを招集したことを後悔している」と後に振り返っている。
「オーバーエイジの選手たちには何の責任もないが、彼らを招集したことで新たにチームワークを作り出すことに多くの時間を要してしまった。サッカーで一番大切なのは、チームの戦う姿勢だからだ」
ましてや、リオデジャネイロ世代が直面してきた荒波はアテネ世代のそれと酷似している。チームが立ち上げられた2014年1月から、AFC・U-22アジア選手権や仁川アジア大会でベスト4にすら進めなかった。
所属チームでレギュラーを担っていたのは、MF遠藤航(当時湘南ベルマーレ)やMF大島僚太(川崎フロンターレ)らのひと握り。危機感を覚えた日本サッカー協会はJリーグと連携して、J3にJリーグ・アンダー22選抜を参戦させて、実戦の舞台で強化を図ってきた。
迎えた今年1月のAFC・U-23アジア選手権。リオデジャネイロ五輪出場をかけた最終予選を前に、こんな危機感が共有されるようにもなっていた。
「オリンピックへの連続出場の歴史が途切れてしまうのではないか」
選手たちが背負ったプレッシャーは、並大抵のものではなかったはずだ。だからこそ、北朝鮮とのグループリーグ初戦から韓国の決勝までの6試合で異なるヒーローが生まれ、五輪切符に「23歳以下のアジア王者」という肩書を添えるまでの軌跡は選手たちを心身両面で変えた。