辞任理由は「約束を守ってもらえなかった」こと
02年W杯でグループステージ敗退という歴史的恥辱を受けたあとも尚、大方のメディアと一部のファンから根強く支持され続けてきたが、故フリオ・グロンドーナがAFA(アルゼンチンサッカー協会)を牛耳っている限り、再びアルゼンチン代表の指揮をとることはないと考えられていた。
そして今回、グロンドーナ亡き後初めてとなる代表新監督選任の機会に、どのチームとも契約を交わしていなかったビエルサが候補の筆頭に挙がったというわけだ。
だが翌6日、ビエルサがラツィオと正式に契約を交わしたという報が舞い込み、多くのアルゼンチン人の希望は一旦消え去った。間もなく、次なる候補者としてセビージャの監督に就任したばかりのホルヘ・サンパオリの名が急浮上するも、セビージャ側が難色を示したこと、すでに新監督としての活動を始めたことなどから実現性は皆無に。
そこへラツィオからビエルサ辞任の報が知らされ、水面下で代表復帰の話が進んでいたのではと勘繰る声が上がり始めても仕方がないと思えるほど、ほんの2日の間にタイミングが重なってしまったのである。
別の交渉を噂されるという予想外の展開に、ビエルサも慌てたに違いない。
ラツィオの首脳陣宛てに手紙を送り、その中で「4週間にわたる話し合いの末、昨季から18名の選手が去ったことを考慮した7名の選手の補強についてクラウディオ・ロティート会長自ら承諾していたが、実現されなかった」こと、「新シーズンに向けた準備のため、私のやり方では7月5日までに少なくとも4名の合流が不可欠であることについても合意していたが、まだ誰も獲得されていない」ことを説明し、辞任の理由を明らかにした。
早い話が「約束を守ってもらえなかった」ということだ。
エル・ロコの本当の意味を知っている人たちは、ここで納得した。「ビエルサらしいことだ」と。