若手選手の“下積み”に徹する風変わりなクラブビジネスモデル
この風変わりなクラブビジネスモデルは、20年の歳月をかけて確立された。クラブが第6部に沈んでいた1993年、地元クロトーネで廃棄物処理業関連の投資家を営んでいたラファエレ・ヴレンナ会長が経営権を獲得。彼らはその2年後、現在もこのクラブで強化部門を統括するジュセッペ・ウルシーノをスポーツ・ディレクターとして招聘した。
ここから彼らは、若手主体の強化と育成を重視し始めた。選手の平均年齢を下げ、高額な移籍金を払って選手を買うような方針は取らない。チームは成績を上げ、プロサッカーリーグに参戦するようになってもこれは維持した。これは監督の人選にも響き、若くて攻撃的なサッカーを指導でき、育成に手腕を発揮出来る指導者を選ぶようになった。
ちなみにこの流れで呼ばれた中には、のちにジェノアで名を挙げるジャン・ピエロ・ガスペリーニ監督がおり、彼がもたらした3-4-3は、監督が変わってもクラブの個性となっていった。
そしてそこに、時代の要請が追い風となった。ビッグクラブを中心とした選手の買いあさりが横行した2000年代前半、せっかく下部組織で有望な若手を育ててもトップチームに引き上げられないクラブが増えてきた。スペインなどと違ってイタリアはBチームのリーグ戦参加が認められなかったし、プリマベーラで育成するのも限界があった。
クロトーネは、そこに目をつけた。出場機会に飢えている若手を呼び、レンタルで選手を獲得するのである。ペッレもフロレンツィも、オグボンナもベルナルデスキもこうして技を磨き、経験を積んで各クラブに戻っていった。
レンタル移籍の選手が多くなる関係で、毎年のように選手を入れ替えなければならなくなるというマイナス面はあったが、安価でタレントを確保できるという点を重視。スタイルを固めたクラブは徐々に力をつけて、カテゴリーを上昇させた。