その4:苦手フランス打倒への気迫
最後に、決勝の相手がフランスだったことである。
前回、フランスがホストカントリーを務めた32年前のEURO(1984)では、準決勝で延長後半にプラティニの決勝ゴールで苦杯を嘗めた。16年前のEURO(2000)では、同じく準決勝の延長後半にジダンにPKを決められ敗戦。
さらに、10年前のW杯(ドイツ大会)でも準決勝でまたもやジダンにPKを決められ敗退している。準優勝に終わった12年前の自国開催のEURO(2004)はともかく、いつもフランスが立ちふさがり、ポルトガルはどうしても準決勝の壁を超えることが出来なかった。
今大会、FPF(ポルトガルサッカー連盟)のディレクターとしてベンチ入りした「黄金世代」の元代表FWのジョアン・ピントは、「小国ゆえに不利な判定をされ、相手にPKがプレゼントされて負けた」と当時を振り返る。
勝って溜飲を下げるにはこれ以上の相手はなかった。実際、ポルトガルの選手の気迫はこれまでの6試合と比べると明らかに鬼気迫るものがあった。ロナウドが負傷退場になった後も慌てなかったし、諦観は微塵も感じられなかった。
キャプテンマークを引き継いだナニも普段のシャイな性格をかなぐり捨てて味方を鼓舞し続けた。実力以上の粘り強さを発揮することができたのは、フランスのおかげかもしれない。
ポルトガルでは優勝した7月10日を国民の祝日にしようとする動きがあるようだ。それぐらいこの国にとっては待ち望んだ大舞台での優勝だった。ただ、今回の優勝が一発の大きな打ち上げ花火になる可能性も否定できない。
EURO連覇など大言壮語であるし、UEFA主催の大会で再び優勝するのは難しいかもしれない。それでも、ロナウドいなくしても一枚岩のチームを構築し、“勝ち獲った経験”は大きな財産となるだろう。これからのポルトガル代表もFIFAランク10位以内を常にキープする欧州の列強のひとつであり続けるはずだ。
(文:鰐部哲也)
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