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Jリーグ 8年前

芸術的FK沈めた浦和・阿部勇樹。「他の人が蹴ってくれるので」。黒子に徹する主将の存在感

text by 藤江直人 photo by Getty Images

浦和復帰後、欠場したリーグ戦は1試合のみ

浦和レッズのミハイロ・ペトロヴィッチ監督
浦和レッズのミハイロ・ペトロヴィッチ監督【写真:Getty Images】

 常に控えめで、一歩引いて黒子に徹しながらチームメイトたちを立てる性格が短い言葉からも伝わってくるが、レッズにおける存在感は代えがまったく効かないほど大きい。

 アンカーとして全4試合に先発し、岡田ジャパンのベスト16進出に貢献したワールドカップ・南アフリカ大会後。阿部は当時イングランド2部のレスター・シティへ完全移籍した。

 契約期間は3年だったが、2シーズン目の途中となる2012年1月。自らの意思で契約を解除して、レッズへ復帰した。親しみを込めて選手たちから「ミシャ」と呼ばれる、ミハイロ・ペドロヴィッチ監督が就任したことが大きかったと阿部は後に語っている。

「ミシャと一緒にサッカーをやりたいという思いで、向こう(イギリス)から帰ってきた」

 復帰と同時にペドロヴィッチ監督からキャプテンに指名され、いま現在に至るまでの4シーズン半。レッズが戦ってきた「155」のリーグ戦のうち、阿部は実に154試合で先発を果たしている。

 唯一の欠場となった2013年5月6日のセレッソ大阪戦は、直前の試合で退場となったことで、出場停止となっていた。処分が明けて復帰した同11日の鹿島アントラーズ戦から継続しているフルタイム出場は、ヒーローになったレイソル戦で「112」にまで伸びている。

 Jリーグ歴代のフィールドプレーヤーで阿部よりも上に位置しているのは、137試合の水本裕貴と126試合の服部公太(ともにサンフレッチェ広島)しかいない。

 それでも、通算3人目の100試合連続フルタイム出場を達成した4月16日のベガルタ仙台戦後には、阿部はこんな言葉を残しながら苦笑いしている。

「本当に100試合なのかな。数え間違いじゃないかと」

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