シーズン当初は3~4番手に過ぎなかった序列
彼は、幸運を掴み取った。高卒2年目のGKがJ1クラブの主力としてスタメンの座を勝ち取るなど、滅多にないことだろう。しかし、ただのラッキーと片付けることはできない。
志村滉は1996年4月27日生まれの20歳。千葉県の強豪・市立船橋高校から昨季、ジュビロ磐田に加入した。高校時代からその能力の高さは広く知られており、高校ナンバーワンという評価を得ていた。
磐田の今季のGKは4人体制で、この数はどのクラブも大きく変わらない。シーズン当初、志村は3~4番手に過ぎなかった。正守護神はカミンスキーで、その次に八田直樹が控えており、その壁は分厚く感じられた。
実際、リーグ戦が開幕するとゴールマウスを守ったのはポーランド人GKだった。1試合に1本は確実にスーパーセーブを見せ、チームをピンチから救ってきた。カミンスキーについて、志村は尊敬の念を抱きながらこう話したことがある。
「かなり凄いっす! 今まで見てきたキーパーの中でも凄い。他のキーパーが弾くところをキャッチしたり、状況判断も的確。ハイボールも強いし、例えばリードしていて時間が残り少なかったら、キャッチしてちょっと倒れて時間を稼いでゲームを一回止めたり。ポゼッションでも、相手が来てもそのまま冷静にパスを出せる」
リーグ戦はカミンスキー、ヤマザキナビスコカップは八田という分担もできており、J1・1stステージ途中まで磐田のGK体制は磐石だった。ところが5月11日、第13節・ガンバ大阪戦を2日後に控えた日のことだった。カミンスキーが練習中に股関節の違和感を訴えると、吹田サッカースタジアムでのアウェイゲームを欠場することになった。
この試合から、スタメンには八田が名を連ねるようになった。クラブのアカデミー育ちの背番号1は、カミンスキーの抜けた穴を補って余りあるパフォーマンスを見せ、指揮官の信頼を得ていく。だが、彼も負傷に苦しむことになる。腰痛が悪化してしまい、第14節・川崎フロンターレ戦を最後に離脱した。
すると、第15節・FC東京戦で志村に白羽の矢が立った。すでにナビスコカップで2試合を経験していた若武者の抜擢を、名波監督は決意する。