15ヶ月でフォルランが残したもの
空港にはセレッソのチームメイトである山口蛍、長谷川アーリアジャスールも見送りに来ていた。退団セレモニーにおいて、フォルランに接触し、空港で時間があれば、少しインタビューしてもよいと本人から言われていたのだが、警備も厳しく、単独でインタビューをしようとしていた私のもくろみはもろくも崩れさった。
ファンとの記念写真を終え、チェックインカウンターへ向かう時、歩きながら日本で決めたゴールの中で彼が最も気にいっているものはどれかと、尋ねるのが精一杯だった。
ディエゴはアジア・チャンピオンズリーグ山東魯能戦での決勝点だと答えた。セレッソが16強を決めた重要な得点だった。やはりチームに貢献しただけに、喜びはひとしおであったのだろう。
ウルグアイへ戻ったフォルランは、彼がプレシーズンの合宿に参加して、フットボール選手への道を選択するきっかけとなったクラブ、ペニャロールでプレーすることになった。アルゼンチン、スペイン、イングランド、イタリア、ブラジル、そして日本と海外クラブでの在籍期間は実に18年間にも及んだ。
2015-16年シーズン、ペニャロールは見事ウルグアイリーグ優勝を果たした。フォルランは34試合に出場し、8得点、12アシスト。しかし彼本来の力からすれば、十分に活躍できたとはいえなかった。
2016年6月14日、会見を開きペニャロールから離れることを発表した。1年間を振り返り、フォルランは次のように話した。
「僕は全力をクラブのために尽くした。十分に力を発揮できた時もあったけれど、そうでなかった時もあった。ファンは僕に対する期待が大きかったし、僕自身ももっとやれるはずだと思っていた。
それだけにファンには十分に期待に応えられなかったことをお詫びしたい。ウルグアイサッカーはとても大変なものだった。僕にとっては大きな挑戦だったけど、とても満足している」
37歳となったとはいえ、フォルランには複数のクラブからオファーが届いている。フォルランはまた新たなる挑戦を求めて移籍することになる。
思えば、セレッソ大阪在籍は15ヶ月という短い間ではあったが、地球の裏側の日本に、彼が伝えてくれたものは、けっして小さなものではなかったと、私は信じている。
(取材・文:竹澤哲)
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