変わらぬ評価も出場機会減。本人も移籍も決断
長谷川健太監督が就任した2013年こそJ2で36試合4得点と主力の座を保った背番号10ではあるが、三冠イヤーとなった2014年は途中出場中心でリーグ戦19試合1得点、昨年はルーキーイヤーの5試合にも届かない2試合出場のみに終わっていた。
もっとも指揮官の二川評は「フタのようなパスを出せる選手は他にいない」。ベテランへの気配りを忘れない長谷川監督のリップサービスでないことは、昨年のACLの大一番での起用を見れば明らかだ。
ホームに広州恒大を迎え撃った準決勝のセカンドレグで、調子を落としていた宇佐美に代わって長谷川監督が送り出したのは二川だった。
しかし、過去2シーズンを振り返れば、背番号10がサブに甘んじたのは無理もない事だった。
2003年、二川に背番号10をつけるよう厳命した西野朗元監督は、そのパスセンスに惚れ込んでいた1人。そんな西野氏が名古屋グランパスの指揮官として万博記念競技場に戻って来た昨年9月のナビスコカップ準々決勝の後、二川のプレーをこう分析したのだ。
「しょうがないよね。今のガンバの中盤は、こうだもんね」と握りしめた両手を上下動。ハードワーカーの阿部浩之と大森晃太郎が担っている守備面での役割をこなしきれない背番号10の出場機会が激減するのも無理はない状況だったのだ。
「トップで出番がないことが移籍を決めた決め手だった」(二川)。
アカデミー時代から慣れ親しみ、ある意味では遠藤以上にクラブの象徴的なタレントだった男に対して、クラブは冒頭の横断幕に記されたような振る舞いをしてきたわけではない。
二川も言う。「去年も出場機会が減って来ていたので、移籍した方がいいのかなと思ったけど、そこでオファーもなかったし、ガンバも契約延長をしてくれたのでしっかりとここで頑張ろうと切り替えてやっていた」