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EURO2016 8年前

ウェールズ代表の「覚醒」を支える苦闘の歴史。英雄の死を乗り越えた“ドラゴンズ”の野望【東本貢司の眼識】

シリーズ:東本貢司の眼識 text by 東本貢司 photo by Getty Images

2004年に初出場していれば優勝のチャンスも?

ギグス
ライアン・ギグスらを擁した「代表史上最強時代」がユーロに出場していたら優勝の可能性もあった?【写真:Getty Images】

 60年代の沈黙の後、ウェールズ代表が再び国際舞台でその存在に陽が当たったのは1976年のヨーロッパ選手権予選。代表史上初のイングランド人監督、マイク・スミスとキャプテン、テリー・ヨラス(後に代表監督歴任)のリーダーシップの下、あと一歩で本大会出場まで迫っている。

 以来、ウェールズはさすがにタイトル争いまでには至らないものの、ヨーロッパにおいて決して楽に勝たせてくれる相手ではない、との評価を得てきた。ロン・デイヴィス、ジョン・トシャック(70年代初頭リヴァプールでケヴィン・キーガンの相棒)、イアン・ラッシュ、マーク・ヒューズ、GKネヴィル・サウスオール(史上最多キャップ数保持者)などイングランドの名門で主軸となった名プレーヤーも少なくない。

 だが、重要な大会で目を見張るような成績を上げるには如何せん力不足だったのは歴然たる事実。英雄ラッシュの時代のアキレス腱は、なんといってもワールドクラスの2トップと世界的GKを擁するチームを生かし切れる有能な中盤の司令塔、およびその補佐役たちの不在だった。つまり、現チームにおけるアーロン・ラムジー、ジョー・アレン、ジョー・レドリーや、DFの柱アシュリー・ウィリアムズのような存在が出てこなかったのだ。

 ただし、今世紀に入って間もない頃のウェールズが、攻撃陣に限ればおそらくは現チームですら見劣りのする「代表史上最強時代」(監督:マーク・ヒューズ)を迎えていたことを忘れるわけにはいかない。

 2004年ユーロ。同大会を徹底した堅守カウンターで最後に制したのが意外な伏兵ギリシアだったことを思えば、今でも確信をもって言える。イタリア以下、当時有数の強豪だったセルビア&モンテネグロ、フィンランドと同じ予選グループに入って堂々の2位で終えたウェルシュ・ドラゴンズが、もしもプレーオフでロシアに惜敗していなければ、初出場優勝のチャンスすらあったことを。

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