ウェールズ代表が歩んできた野望と苦闘の歴史
二つのアイリッシュ代表チームが健闘むなしく敗れ去った後、破滅的なイングランドの敗退と続いて、今や希望の拠り所はウェールズのみとなってしまった。
結果論などではなく、ここまでの4ヶ国の戦いぶりを振り返ってみたときのウェールズのしぶとさ、すなわち、傍目には劣勢に見える局面でさえ何かしら、反発への余裕、余力のようなものを感じさせてくれる頼もしさからすれば、ごく順当な成り行きだったと言えるのかもしれない。
それだけ、現ウェールズには世界と台頭に渡り合える実力が育まれつつあるのではないか。あえて評するなら、伝統に培われた真っ当なる潔さの覚醒。それを支えるは、「ドラゴンズ」が歩んできた野望と苦闘の歴史、そしてある国民的悲痛な事件とその余韻――。
FAW、すなわち「ウェールズフットボール協会」が誕生したのは、宗主国のFAカップ創設に遅れること4年後の1876年。北部レクサム市のビジネスマングループが、イングランドとスコットランドのフットボールにおける成功とそれに伴う商業の活性化に目をつけ、クラブチームを結成しようとしたのが契機となったとされる。
しかし、そうして始まったウェールズ・リーグはレベルの点でいっかな及ばず、そこで一部の有力クラブは兄貴分のリーグに参入することに。今でも、同国を代表する3大クラブ、カーディフ、スウォンジー、レクサムはイングランドリーグに所属している。以来、同リーグ二線級の域をさまよいながらも、唯一、カーディフが1927年のFAカップを制し、史上希な例としてこの名誉あるカップをウェールズに持ち帰っている。