家の天井に『プロ、日本一、世界』
「私たち親もガンバサポーターでしたから、貴史がガンバのジュニアユースに入ってくれるのは喜ばしいことでした。ただ、クラブを選ぶに当たっては、『貴史の行きたいクラブに行けばいい』と言っていました。でも、本人が語気を強めたんです。
『俺にはガンバしかない』と。
セレクションに関しても、クラブ側から必要ないと言われたんですが、『本人が思いあがると困りますから、受けさせて下さい』と懇願しました。押し問答が続いて、最終的にはなしでいいということになりましたけど、本人は『これからや』と話していた。それだけ本気でプロになろうという気持ちでやっていたと思います。
家の天井にも当時から『プロ、日本一、世界』と目標を書いた紙を貼って、自分を鼓舞していました。その思いは私たち親にもしっかりと伝わってきました」と父・和彦さんは息子の真摯な気持ちを代弁していた。
憧れの家長がトップ昇格を果たした2005年、宇佐美はガンバの扉を叩いた。
続きは『僕らがサッカーボーイズだった頃3 日本代表への道』にてお楽しみください。