リオ五輪への偽らざる思い
特殊な可変システムのもとで戦うサンフレッチェにシーズン途中から加われば、出場機会は極端に限られる。それでも塩谷は焦ることなく、3バックの右を主戦場としながら、マイボール時にはサイドに開いて右サイドバック的な役割を担う戦術を頭と体に叩き込んだ。
センターバックに転向するまではボランチとして、攻撃に絡むプレーがなによりも好きだった塩谷は、サンフレッチェの可変システムのもとで水を得た魚のように輝きを放ちはじめる。
2013シーズンからレギュラーを不動のものとし、2014シーズンからは2年連続でベストイレブンを受賞。ハビエル・アギーレ前監督のもとでは、念願だった日本代表デビューも果たした。
迎えたオリンピックイヤー。センターバックとサイドバックに故障者が続出する状況のなかで、新聞紙上などで両方のポジションを務められる自分の名前がオーバーエイジ候補にあがっていることを幾度となく目にした。
許されるのならば、リオデジャネイロの舞台で戦いたい。塩谷のなかでリオ五輪への思いが膨らんできた矢先に、日本サッカー協会から正式に打診された。
「(報道などで)もう知っているかもしれないけど、そういう(オーバーエイジの)話がきている」
足立修強化部長から呼び出され、意思を問われた塩谷は「自分としては行きたいと思っています」と偽らざる思いを伝えている。ほどなくして、U-23日本代表を率いる手倉森誠監督から電話がかかってきた。
「一緒に戦ってくれ。力を貸してくれ」
すでに心は決まっていた塩谷は、熱い想いを指揮官に伝えている。
「こちらこそ全力で頑張りますので、よろしくお願いします」
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