2000年代に入って忘れ去られていたコロンビアサッカー
「B組はどのチームも実力的に均衡している。どこがグループリーグ突破をしてもおかしくない。我々が突破できることを固く信じ、好成績を収めるために最良の代表を形成し大会に臨むのだ」
オリンピックでの対戦相手が決定すると、カルロス・“ピスシス”・レストレポ監督(ピスシスは“魚座”を意味するあだ名)はオリンピックに向けての決意をこのように語った。
コロンビアサッカー代表がオリンピックに出場するのは92年バルセロナオリンピック以来24年ぶり、今回が5度目となる。初出場が68年メキシコ大会、その後72年ミュンヘン大会、80年モスクワ大会と参加するがいずれもグループリーグ敗退で終わっている。
しかし92年のバルセロナ大会では、コロンビアは優勝候補の一つに挙げられた。なぜならそのチームには、ホルヘ・ベルムデス、エルナン・ガビリア、ビクトル・アリスティサバル、イバン・バレンシアーノ、ファウスティーノ・アスプリージャといった、後の94年、98年ワールドカップで主力となる蒼々たるメンバーが揃っていたからだ。
しかし結果はカタールに1対1で引き分け,スペインに0対4,エジプトに3対4と敗れ、1勝もあげることができずにグループリーグにて敗退している。それだけに今回こそは、コロンビアサッカー界の近年の充実ぶりを世界に示したいという気持ちがコロンビアサッカー界には強いようだ。
A代表においても90年、94年、98年とワールドカップ三大会に出場し、バルデラマやアスプリージャといったタレントを擁し、一世を風靡したコロンビアサッカーだが、その後は2014年大会までワールドカップには出場できず、一時期、コロンビアサッカーは世界のサッカーシーンからは少し忘れられた存在となっていた。