フラットな4-4-2の祖先はリバプールに
66年のイングランドは4-4-2を有名にしたが、現代のアトレティコ・マドリーやレスターが使っている4-4-2の原型かというと少し違う。
現在のMFをフラットに配置した4-4-2ではなく、イングランドはいわばMFをダイヤモンドに組んだ4-4-2なのだ。前方の5人と後方の5人に分かれた分業システムだった。ゾーンで区分けされた守備ブロックもなく、全体をコンパクトにする意図もない。現代のフラット型4-4-2の祖先をさかのぼれば、70年代半ばからの10年に渡ってヨーロッパの頂点にいたリバプールになるだろう。
リバプールは76-77シーズンのチャンピオンズカップで初優勝、翌年も連覇。2シーズンおいて80-81にも優勝、さらに83-84に4回目の優勝を達成している。次の84-85の決勝(ユベントス1-0リバプール)で多くの死者を出した“ヘイゼルの悲劇”が起こり、イングランドのクラブはヨーロッパのコンペティションから締め出しを食うのだが、それまでのリバプールの戦績は抜群だった。
リバプールはMFをフラットに並べた4-4-2を使った。それまでの選手の特徴に合わせて役割を割り振っていくオーダーメイド型の構成とは違っている。例えば、プレーメーカー、守備的MF、攻撃的MFという分け方ではなく、右、左、中央右、中央左と区分けされた担当エリア内での攻守をそれぞれが担当した。
従来型と比べると極めて整然としたポジショニングであり、機械的とさえいえる。現代のサッカーを見慣れているファンからすると、違和感がないのはおそらくリバプールからだと思う。
次回はリバプールと、さらに進化形として戦術に決定的な影響を与えたACミランを取り上げる。
(文:西部謙司)
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