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アトレティコ担当記者の悲哀。どうしても手が届かないCL。退職願に綴られた悲嘆

text by アルベルト・ロメロ・バルベーロ photo by Getty Images

いつも「白たち」が現れて、我々から奪い去っていく

2014年5月のCL決勝でも、ラモスのゴールに優勝を阻まれた
2014年5月のCL決勝でも、ラモスのゴールに優勝を阻まれた【写真:Getty Images】

 1996年にマルカで働き始めた当時23歳の若造の物語に、今から思いを巡らせることを許してほしい。あれはアトレティコがリーガ・エスパニョーラとコパ・デル・レイのドブレテ(二冠)を達成する直前だったが、その若造がアトレティコセクションに配属されたのは2000年、ちょうどチームが2部の地獄に落ちたときと重なっていた。降格と新人の配属は、まるで関係のないことかもしれない。いずれにしろ、そこから一つの道程が始まったのだ。

 最初にタラゴナ、フェロル、エヒド、次にハンブルク、モナコ、ブカレスト、リスボン、そして悪しきミラノ。多くの時間、多くの仲間、多くの笑顔、多くの涙、(もちろん)多くのビール、多くの歴史……。そうやって、ここまでたどり着いたのである。

「幸せだった場所に戻ろうとしてはいけない(※)」。マエストロから2回目の引用となるが、私たちはアトレティコに寄り添った、ほとんどすべての場所で幸せだったのだ。リーガ1部復帰、スーパーカップ、コパ・デル・レイ、リーガというほぼすべての場所で。

 欠けているのはチャンピオンズだが、いつもロス・ブランコス(白たち、レアル・マドリーの愛称)が現れて、我々から奪い去っていく。敵意を向けられたと感じる人々には前もって謝るが、自分たちに喜びをかき集めるような風儀なはどない。

 一個持っている、今は二個ほしい。二個持っている、次は十個ほしい。十個持っている、今度は千個ほしい。そうではなく、私たちは味わったことだけで満足できるし、その経験は決して少なくなかった。ただ一個だけ、一個だけだったのだ。そこまでの欲張りではないように思えたのに。

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