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フォルランのプロフェッショナリズム。ウルグアイ人の根底に流れる“ガーラ・チャルーア”【フットボールと言葉】

シリーズ:フットボールと言葉 text by 竹澤哲 photo by Getty Images

フットボール一家のフォルラン家

ベビーフットボールを原点だと語ったアルバロ・レコバ
ベビーフットボールを原点だと語ったアルバロ・レコバ【写真:Getty Images】

 子供の試合にはオフサイドのルールもない、ただひたすらゴールを目指す、どこまでも勝負にこだわった激しいフットボール。これが人口わずかに300万人の小国ウルグアイから、これだけ多くの優れた選手が出てくる秘密なのかもしれなかった。

 レコバ自身は息子のプレーをひたすら目で追いながら、「自分の原点はやはりここにあると思う。いくら生活が豊かになっても、ベビーフットボールで培われる精神を忘れてはいけないと思う」と話す。

 それと同じような状況が、フォルランの少年時代にも起きている。モンテビデオの高級住宅街であるカラスコで育ちながら、その環境から離れ、フットボール選手を目指すことになる。

 ディエゴ・フォルランは、1979年5月19日、モンテビデオで生まれる。祖父が元ウルグアイ代表監督のフアン・カルロス・コラッソ、父が元ウルグアイ代表パブロ・フォルラン。

 二人ともウルグアイフットボール界のレジェンドだった。兄のパブロ・フォルランもプロ選手になっている。いわばフォルランはフットボール一家の一人として育てられた。

 幼少の時のディエゴについて父のパブロは次のように話している。

「4歳の時にすでにとても運動神経がよいと思った。フットボールにおいても、またテニスにおいても、スピードがあり、ボールの受け方もよかった。ラケットをもってもうまかった。これから成長し、フットボール選手になるのか、テニス選手になるのか、あるいはバスケットの選手になるのかは分からなかったが、スポーツ選手になる才能はあると思った」

 実際、フォルラン一家はスポーツなら何でもやっていた。父のパブロは当然、ディエゴがフットボール選手への道を選ぶと思っていたが、13歳の頃、ディエゴはテニスに夢中になり、14歳までフットボールをしなかった時期があった。

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