シーズン前にミハイロビッチ招聘も…国内では疑問の声
「我々も、昨シーズンのチームには競争力があると信じていた。ところがサッカーの内容は相手に合わせてしまうし、前線には相手を押し切る力に欠けた。かつてのミランはこうではなかったはずで、当時の姿に戻したいと考えた」
昨年7月、ミランのシルビオ・ベルルスコーニ名誉会長はシニシャ・ミハイロビッチ監督就任の席でこう語っていた。彼らの目標はチャンピオンズリーグの出場権獲得とともに、相手を支配するサッカーを展開することにあった。DFラインを下げず、ロングボールを使わずにボールをつなぎ、常に相手陣内でプレーするという強豪としての振る舞いだ。
その実現のため、彼らは思い切った決断を取った。フィリッポ・インザーギ監督を解任しサンプドリアで結果を出していたミハイロビッチ監督を招聘、そしてリーグでは2番目の規模となる約8000万ユーロ(約98億4000万円)もの移籍金をつぎ込んだ。
しかし、その結果は周知の通り。補強した選手も実力が発揮できず、中にはベンチが定位置になるものもいた。サッカーのスタイルも、ポゼッションどころかプレスとショートカウンターを選択するようになる。
この現実にベルルスコーニ名誉会長は納得がいかず、6位争いが佳境でコッパ・イタリア決勝までも時間がない状況でミハイロビッチを解任する。そして最終的には6位入賞も失敗、善戦はしたがコッパ・イタリア決勝でも敗れ、ヨーロッパリーグ出場権さえも逃した。
だが、イタリア国内の元選手や監督などのサッカー評論家からは「ミハイロビッチはよくやっていた。あの選手層ではあれが限界」という声も強かったのだ。不振はあくまで現場の責任か、それともクラブの強化方針がずれていたということなのか。シーズンを振り返ると、結局後者の理由が原因でミランは再興に失敗した印象が強い。