「すべてを失うことも、すべてを勝ち取る可能性もあった」
G そのような考えを、どのようにして選手たちに理解させるんだい?
S 今、話した通りのことを伝えたよ。それは自分の身にも起こったことだ。ラツィオとともにセリエAを勝ち取ったときにね(99-00シーズン、選手としてスクデットを獲得)。優勝のためには首位のユーベが最終節で負け、ラツィオが勝利しなければならない状況だったが、不可能が可能となった。そのような経験は胸に刻まれ、今後も同じようなことが起こり得ると深く理解させるものだ。実際、我々は第36節レバンテ戦でつまずいてしまった。
レバンテ戦で、数人の選手は「開始から20分が過ぎたあたりで足が動かなくなった。僕たちはロンドンでチェルシーを倒したばかりなんだ」と話していた。だが、疲労なんてものは言い訳にもならない。チェルシーとの試合は木曜ではなく火曜に行われ、レバンテ戦は日曜だった。
それは優勝することに慣れていないためであり、毎シーズンにわたってそのような状況を経験していれば起こらなかったはずだ。アトレティコは25年(正確には18年)にもわたってリーグタイトルから遠ざかっていたし、優勝の経験があったのはダビド・ビジャとチアゴのみで、そのほかの選手はこれほど重要なタイトルに近づいたこともなかった。そのために理由も分からず足が重くなり、動かなくなってしまったんだ。
G レバンテ戦で足が動かなくなるとすれば、カンプ・ノウの試合では……。
S ロンドンでチェルシーをくだしたとき、頭は想像を巡らせて破裂することになった。リーガ、チャンピオンズ制覇という想像でね。ただ我々は現実的に何も手にしていなかった。それがフットボールの素晴らしいところだが、そこからすべてを失うことも、すべてを勝ち取る可能性だってあったんだ。だからこそ、頭に浮かぶことや周囲の雑音を切り離して、ピッチに立たなければならなかった。