アトレティコと決定的に違う、マドリーの注目度
こうして私はマドリーを追いかけるという、日々にわたる挑戦に臨むことになった。マドリー番記者として、サンティアゴ・ベルナベウに初めて足を踏み入れたのは、10月2日のこと。それはクリスティアーノ・ロナウドがラウール・ゴンサレスの記録を上回り、マドリー歴代最多得点者になったことを記念して行われたセレモニーの取材だった。
その場では、なぜここにいるのかと驚いた顔をしたシンにも出くわしたが、私自身も開いた口が塞がらなかった。ベルナベウのVIPゾーンで行われたそのセレモニーには、200人を超える記者が集まっていたのだから。
そのセレモニー後に赴いた練習、試合でも、取材する記者の数はアトレティコと比較になどならなかった。赤白のクラブも、シメオネの監督就任をきっかけとする復権から注目度を増していたものの、マドリーを取り囲む環境は、それすらもゆうに超えていたのだった。
さて、先にマドリーを追いかけることは挑戦と記したが、それはまさしく言葉通りの意味である。『マルカ』のマドリーセクションでは7人の記者が働き(アトレティコセクションは4人)、それぞれが独自のコネクションを有しているが、クラブの関係者とつながることは困難を極める仕事だ。
マドリー会長フロレンティーノ・ペレスはクラブの商品価値を損ないかねないと、批評性を伴うメディアを毛嫌いしており、そこにはマドリー贔屓と揶揄されることもある『マルカ』も含まれているからだ(そう、『マルカ』がマドリーを最も大きく扱っているのは事実だが、批評性、ジャーナリズムはしっかりと根付いている)。
我々記者がジネディーヌ・ジダンや選手たちと交流を持てるのはミックスゾーンや会見などに限られており、クラブから独占インタビューの許可が下りることなど、まずあり得ない。
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