心に染み渡った、アトレティコとの別れ
私はアトレティコの番記者を7年半にわたって務め、マハダオンダ練習場やビセンテ・カルデロンに通いつめた。もちろんスペイン国内外のアウェイ戦だって取材し、果てにはプレシーズンのアジア、アメリカ遠征も経験した(五大陸の内、まだ赴いていないのはアフリカ、オセアニアだけだ)。アトレティコとともに過ごした日々はかけがえのないものであり、ともに過ごした記者たちは刺激を受けるライバルでありながら、良き友人にもなった。
私の異動が決定した際、彼ら友人たちはサプライズでディナーを開いてくれ、直属の上司だった『マルカ』アトレティコセクションのチーフ、アルベルト・ロメロ・バルベーロからは、自分を取り上げた同紙の一面を贈呈された。
この一面の贈呈は、『マルカ』においては結婚や退職した社員に行われるのが慣例となっているが、セクションを変えただけで受け取れるとは、本当に有難いことである。ちなみに、その一面の見出しは「メディーナ、(アトレティコのユニフォームを)脱ぐ」で、「ほかの裏切り者が果たせたなかった夢を、彼は叶えたのだ」とも記されている…。
またディエゴ・シメオネからは、ワッツアップを通じて“チョリスモ(シメオネ主義)”をひしひしと感じられる惜別のメッセージを受け取った。アトレティコの人々との別れは、じつに心に染み入るものであったし、絆というものが「シエンプレ・アイ・ケ・クレール(いつだって信じなければならない、“チョリスモ”を代表する名言)」であることを教えてもらったように思う。
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