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ダバディさんのサッカー文化論。スタジアム、スペクタクル。人気拡大に必要な魅力の醸成【INTERVIEW】

シリーズ:FChan TV text by 中山佑輔 photo by Asuka Kudo/ Football Channel , Getty Images

近所のスタジアムで代表戦が見られた

ウルグアイ代表としてプレーし、ラシン・パリでもプレーしたエンゾ・フランチェスコリ
ウルグアイ代表としてプレーし、ラシン・パリでもプレーしたエンゾ・フランチェスコリ【写真:Getty Images】

―――応援していたクラブはありましたか?

 当時はパリに2つのクラブがありました。パリ・サンジェルマンは71年からあるんですが、もっと古いクラブ、ラシン・パリというものがあったんです。ラシン・パリのオーナーは私の父の友人で、父にシーズンチケットをくれたんですが、父が忙しすぎたので、私と兄が譲ってもらいました。

 はじめて特定のクラブの試合を2週間に一回、スタジアムで観戦する経験をしました。それ以前にボルドーなどが強かった時代はありますけど、ラシン・パリはフランスのビッグクラブ第一号なんです。当時、ラシン・パリはスペインとかイタリアのクラブをしのぐ高額で、南米のトップ選手だったエンゾ・フランチェスコリを獲得していました。

 フランチェスコリはジダンが憧れる選手ですね。僕もジダンと一緒で彼に憧れたんです。夢中になって彼のドリブルを真似したりとか。僕はプロとか高いレベルでプレーする才能はなかったですけど、彼に憧れて草サッカーは続けました。

 でも残念ながら私のクラブであるラシン・パリは、経営の問題で3部リーグに降格してしまって、二度と1部に戻ることはありませんでした。それからはパリ・サンジェルマンを応援したりもしましたね。

―――当時はパルク・デ・プランスが代表戦の試合会場だったんですよね。

 はい。オランダ戦はパルク・デ・プランスだったし、84年のユーロの決勝もパルク・デ・プランスで行われていました。パルク・デ・プランスは今と変わっていないですね。すごくいいスタジアムですよ。

―――ダバディさんはパリの市内の出身ですか?

 僕はパリ16区の出身です。パルク・デ・プランスも16区で、家から地下鉄で15分くらいなので、すごく近所に感じます。それはサッカーを好きになった要因かもしれないですね。たとえば当時フランス代表の試合会場が(パリ北部の郊外にある)サンドニだったら、もしかするとそんなに頻繁にサッカーを見に行っていなかったかもしれないし、シーズンチケットをもらっていなかったかもしれない。

 そう考えると、(サンドニの)スタッド・ド・フランスはきれいですけど、やっぱりスタジアムは街中にあるといいですね。今MLS(メジャーリーグサッカー)はスタジアムを街の中に戻そうという流れがあるし、やっぱりそう思います。

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