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ダバディさんのサッカー文化論。スタジアム、スペクタクル。人気拡大に必要な魅力の醸成【INTERVIEW】

ウェブ番組『FChan TV』とのコラボ企画。今回は、フィリップ・トルシエ監督時代に日本代表の通訳を務めたフローラン・ダバディさんのインタビューをお届けする。サッカー文化醸成のためには何が必要なのか。ダバディさんに語ってもらった。(取材・文:中山佑輔)

シリーズ:FChan TV text by 中山佑輔 photo by Asuka Kudo/ Football Channel , Getty Images

幼少期、全盛期にあったプラティニのプレーを観戦

以前日本代表の通訳を務めたフローラン・ダバディさん
以前日本代表の通訳を務めたフローラン・ダバディさん【写真:工藤明日香/フットボールチャンネル】

―――まずダバディさんがサッカーに興味を持ち始めたときのお話から聞かせていただけますか?

 フランスの学校は、日本と同じく平日に体育の時間が3時間くらいあるんです。それとは別に水曜日の午後がスポーツの時間となっていて、学校の体育館でできないスポーツを選んでやることができます。そのなかで王道なのはラグビー、サッカー、バスケットボールなどのチームスポーツです。

 私は昔からこの体型だからラグビーは向いていなくて、背は高いけどジャンプ力がないからバスケもダメ。多くの子どもたちのようにサッカーを選びました。サッカーが好きだからやったのか、やっていたからサッカーが好きなのか、そこはわからないですけど、家族もサッカーが好きで、自然に好きになりましたね。

―――子どものころはプレーだけでなく観戦も頻繁にしていたのでしょうか?

 家族でテレビ観戦をしたりもしましたね。はじめて生でサッカーを見たのは、1981年にパルク・デ・プランスで行われたフランス-オランダ戦です。この試合ではプラティニがフランスサッカー史上に残る伝説的なフリーキックを決めました。

 当時、もうクライフはいなかったんですけど、ヨーロッパの強豪であるオランダを破って、フランスが82年のスペインW杯出場を決めた。7歳、8歳の頃だから記憶は定かではないんですけど、本大会の準決勝で、フランスがドイツにPKで負けた、というのはさびしい記憶として覚えています。

 84年のユーロは鮮やかに覚えていますね。当時はプラティニが最盛期で、フランスの試合は全部覚えていますよ。この大会が、サッカーファンとしてはじめて徹底的にフォローした大会です。

 80年代のフランスは、世界的にも強豪だったし、プラティニというスーパースターがいたので、多分みんな自然とサッカーを好きになっていたんじゃないですかね。錦織圭がグランドスラムでベスト4に残ることによって日本でのテニスへの関心が高まるのと同じような雰囲気だったと思うんですよね。

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