意識するのは日本だけ。あらゆるジャンルでミニ韓日戦が
筆者の記憶が確かであれば、2人がお互いを意識しているようなコメントを述べたことはない。つまり、ソン・フンミンと岡崎は特に互いを「ライバル」とは意識していない。なのに、彼らは記事の中で22人もいるグラウンドの中でもなぜか「敵」としてわざわざ抜擢され、なぜか所属クラブの結果とは全く関係なく、「ミニ韓日戦」という新たな戦場で戦っているかのように書かれている。
そしてその2人の成績だけで「ミニ韓日戦」の勝ち・負けが付く。まるで格闘技ように。このような記事は1件にとどまらない。この試合を「ミニ韓日戦」と表記した記事は5件もあった。
実はこのキーワードは最近生まれたものではない。しかもサッカーに限らず、あらゆるジャンルから見られている(たとえば、ゴルフでも日本人選手と韓国人選手の対戦が行われた場合、その場が「ミニ韓日戦」化する)。
だが、移籍が頻繁に起こるサッカー界で最も多く使われていることは否定できない。文字通り、国と国の対決であるはずの韓日戦が個人と個人、しかも日本と韓国ではない第3世界で繰り広げられ、それが日韓戦のように描かれるのだ。
では、なぜこのような記事が出るのか。岡崎が日本人だから、という答えも出るだろう。間違いではない。ソン・フンミンがクリント・デンプシーのチームと対戦したとしても「ミニ韓米戦」、と表現されることはないからだ(実際に元トッテナムで元韓国代表DFのイ・ヨンピョはプレミアリーグやブンデスリーガで多数のアメリカ代表FWらと直接対決を行ったが、一回もミニ韓米戦と表記されることはなかった)。
だとすると、「なぜ日本人だけが対象となるのか」が重要となってくる。次回はその疑問に対する実例を挙げながら「ミニ韓日戦」の歴史を述べていきたい。
(文:キム・ドンヒョン【城南】)
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