「アトレティコで成功をつかみ取りたい」
トップチームに昇格を果たしたのは、それから6年後。当時のスポーツディレクターであったパウロ・フットレは、17歳となったばかりのトーレスとのやり取りを、こう述懐している。
「2001年の4~5月にイングランドで行われたU-16欧州選手権で、スペイン代表としてプレーするトーレスを目にした。その戦う姿勢を見て、彼にプロフェッショナルとなる心構えがあることを確信したんだ。
大会終了から数日後、私は事務室に彼を呼び出して、こう話しかけた。『なぜ、ここにいるか分かるか?』。彼は地面を見ながら、それに『ノー』と返答した。少し間を置いて、『私が何を望んでいるか、君に分かるか?』と再び質問したが、その頭は上がることなく、再び『ノー』と答えるのみだった。
私は次に『もう準備ができているのかを知りたいんだ』と話しかけ、そこで彼はようやく自分の目を見た。続けて『君がトップチームでの日々をスタートさせられると確信している。君自身はどうだ?』と語りかけると、両目が輝き出し、赤みを帯びたその顔はさらに赤くなっていった。
そして食い入るように私を見て、『準備はできている。練習に臨むことも、試合に出場することに対してもね。アトレティコで成功をつかみ取りたい。それが僕の夢であり、絶対に失望なんてさせないよ』と力強く語り出したんだ」
そうしてトップチームに加わったトーレスは、2001年5月27日のレガネス戦でプロデビューを果たし、故ルイス・アラゴネスがチームの指揮を執った翌シーズンにはリーガ1部復帰に貢献。
1部という舞台に立っても物怖じすることなく、確かな存在感を発揮した。この急流のような状況の変化にも、トーレスは決して動じなかった。それは祖父が教えてきたアトレティコのアイデンティティーが、心の柱となっているからにほかならない。
そのエウラリオは、孫の活躍に心を震わせながら、2003年にこの世を去った。彼の墓に供えられた物の中で、最も目立っていたのはアトレティコのエンブレムがつけられた花かんむり。そこには、「あなたの孫は、あなたという人のことを絶対に忘れはしない」とのメッセージが綴られていた。