人生のクラブ、アトレティコとの対峙
申し訳ないことではあるが、そのはかりを覗き込む前に、長針と短針を逆に回して今一度2012年に遡ることを許していただきたい。日付はアトレティコのヨーロッパリーグ優勝から3ヶ月半以上が経過した8月31日。運命に導かれるように実現の運びとなった、モナコでのUEFAスーパーカップ、アトレティコ対チェルシーである。
トーレスが人生のクラブであるアトレティコと対峙したのは、これが最初ではなく、また最後にもならなかった。欧州を舞台にした大会は、何かに操られているかのように気まぐれであり、トーレスに古巣と対戦することを何度も、何度も強いたのだった。
このUEFAスーパーカップにおいて、エル・ニーニョとそのチームメートが勝利を収める可能性は一切存在しなかった。アトレティコはラダメル・ファルカオが前半だけでハットトリックを達成し、トロフィーをマドリッドへと持ち帰っている。しかし会場のスタッド・ルイ・ドゥで、アトレティコファンが陣取るスタンドはフェルナンドの名を呼び続けた。選手本人は、奇妙な感覚を覚えたことだろう。
敗戦したチームの一人として喜ぶわけにはいかず、とはいえ胸からは誇り高い感情が湧き出てくる……。
何しろ、彼はアトレティコを再び偉大なクラブとするために戦ってきた男であり、そのために退団を決断したのだから。
「僕たちの世代の選手たちは、アトレティコが刻んできた偉大な歴史に近づけなかった。現在のクラブは、僕がたどり着くことを求めた場所にまで到達している」
トーレスは試合終了後、噛みしめるように語ったのだった。
しかしながら、トーレスが帰還したアトレティコは、その頃よりもさらに強大な存在となっている。
ヒル・マリンが矛盾に満ちたメッセージを受け取ったヨーロッパリーグ優勝、トーレスが矛盾に満ちた感情を抱えたUEFAスーパーカップ以降、アトレティコはコパ・デル・レイ、リーガエスパニョーラ、スペイン・スーペルコパを制し、さらにはレアル・マドリーと対戦したチャンピオンズ決勝で優勝に限りなく近付いた。
ビッグイヤーをつかむため、足りなかったのは2分間。1-0でリードしながら突入した4分間の後半アディショナルタイムで、CKからセルヒオ・ラモスにヘディングシュートを決められた。その足りなかった2分間は、ガス欠のアトレティコが3失点を喫する、地獄のような延長戦を強いたのである。