ラウール(左)とディ・ステファノ(右)【写真:Getty Images】
スポーツ選手は決断の連続だ。プレー中はもちろん、プレー以外でも決断を迫られる。移籍、引退などのタイミングは時として、その後にスポーツ史に大きな影響を及ぼすこともある。29日、スペイン紙『マルカ』が「スポーツ史上最悪の10の決断」を紹介した。サッカーファンにとっても興味深いエピソードが含まれている。
アトレティコ・マドリー:ラウール・ゴンザレスを宿敵レアル・マドリーへ放出(1992年)
1992年、アトレティコのヘスス・ヒル会長は、財政難によりカンテラ(下部組織)閉鎖を発表した。当時アトレティコのカンテラに所属していたラーウル・ゴンザレスはこれに伴いレアルと契約することとなった。その後のラウールの活躍に説明は不要であろう。
バルセロナ:ディ・スティファノの保有権を放棄(1953年)
欧州進出を目指していたアルゼンチン人FWアルフレッド・ディ・スティファノの保有権は、リーベル・プレートとミジョナリオス(コロンビア)の2チームが所有していた。バルセロナとマドリーは、同選手の獲得をもくろみ、バルセロナはリーベルと、マドリーはミジョナリオスと、双方がそれぞれのチームと契約を交わし、問題に発展した。
スペインサッカー連盟は1年ごと交互にプレーすることを提案するもバルセロナはこれを拒否。最終的に保有権をマドリーに売り渡した。その後、マドリーはディ・スティファノと共に欧州チャンピオンズカップ5連覇を成し遂げることになる。
他にも、NBAのスーパースター、マイケル・ジョーダンの野球への挑戦(1994年)や、F1レーサー、フェルナンド・アロンソのマクラーレンからの移籍(2007年)など、興味深い出来事がノミネートされている。
時には「たられば」でスポーツを語るのも悪くはない。そんなラウールとディ・スティファノのエピソードではないだろうか。
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