バルサ入団へ加速することになった敗戦
サントスのルイス・アウヴァロ会長、そしてネイマール自身にとっても想定外となったのは、その年の12月、日本で行われたクラブワールドカップにおいて、クラブ世界一のタイトルを逃したことだった。
2011年12月18日、横浜国際総合競技場で行われたこの試合は4対0とヨーロッパチャンピオンのバルサに大敗。しかも点差以上に、ほとんどバルサにボールを持たせてもらえず、ワンサイドゲームと言ってもよい内容で敗れただけにショックは大きかった。
ネイマールは自身の公式自叙伝「ネイマール・父の教え、僕の生きかた」(拙訳)の中で、このように話している。
「この完敗は人生における有意義な授業でもあった。あの試合からは本当に多くのことを学んだ」
ネイマールが間近で“バルサフットボール”を体験し、それがやがて憧れとなり、移籍へと気持ちを変えていったのは当然の成り行きだった。一方サントスはクラブ世界一になる思惑がはずれ、しかも悪いことに2013年度になるとリベルタドーレス杯への出場も逃し、サンパウロ州選手権でも優勝を逃してしまう。財政的にも、またネイマール自身の気持ちをつなぎ止めておくのも無理な状態になってしまったのだ。
ネイマールにはこれまでヨーロッパへの移籍する機会が2度あった。13歳の時に、ロビーニョの計らいでレアル・マドリーへ試験を受けに行ったが、結局ホームシックが原因でサントスに戻っている。
2度目がチェルシーからの好条件のオファーを受けながら、ワールドカップまでブラジルに留まると決心したときだった。しかしもはやネイマールがヨーロッパへ行くことを阻止できる理由は見つからなかった。
かつて「イングランド行きは早すぎる」と話していたザガロも、ネイマールがブラジルの中だけでプレーを続けることに限界を感じ始めていた。
「ネイマールは現時点で我々ブラジルを代表する偉大なプレーヤーとなっている。しかし彼の周りには、代表においてもサントスにおいても、彼がお手本とするような選手がいない。経験を持った選手が一緒にプレーすることが彼には必要なのではないか」