“ブラジル通”のエージェントとして
これまでレナト(川崎フロンターレ→広州富力)、ドウグラス(サンフレッチェ広島→アル・アイン)というブラジル人選手の日本側のエージェントである稲川朝弘氏に、彼らの日本でのブレイクとJクラブに大きな移籍金を残すスキームについて話しを聞いてきた。
今回は稲川氏の職業観に耳を傾けながら、2015年4月から仲介人制度がスタートしたことでエージェント業界にどのような変化があったかについてレポートしたい。
Jリーグ開幕の1年前となる1992年からサッカー代理人として活躍する稲川氏は、1980年代半ばからブラジルの移籍マーケットに精通する「ブラジル通日本人エージェント」の第一人者だ。
「最初にブラジルに行ったのは、85、6年頃だと思います。漠然と『ブラジルは世界一』だと思っていたので、とにかくまず行ってみようということで行きました」
ブラジルへと足を伸ばす前までは広告マンとして働いていた稲川氏だが、「サッカーの仕事をしたい」という強い想いに駆り立てられ、広告業界を離れてサッカー界へと飛び込む。それと同時にブラジルやドイツといった当時から世界のサッカーをリードしていたサッカー大国に飛んでサッカーや移籍マーケットの見聞を広めた。稲川氏にとってエージェントとしての仕事の喜びは「純粋にクライアントである選手の活躍」だと話す。
稲川氏が現在の日本のエージェント業界で突き抜けた実績とJクラブからの熱い信頼を得ている理由は単にクライアントである選手を入れる、より良い契約を勝ち取るためのエージェントだからではない。「チームに必要な選手」を見極める確かな眼力を活かしてクラブやチームの強化までも実現してしまうからこそ、信頼を集めているのだ。稲川氏は実際、次のように話す。
「選手を入れる過程でクラブとよく話をするので、そのクラブが強くなるのはもっと面白いですね。何かしらの携わりを持ったチームが優勝すれば非常に嬉しい。
ですので、私は案外プロデュース的な発想でクラブと話すことが多く、特に外国人選手はそうです。ただ『そのクラブに入れる』、『選手が活躍する』でなく、『こういう仕組みで入れましょう』といったところまで持っていきます」