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Jリーグ 9年前

元広島・ドウグラス、中東移籍の内実。WIN-WINの関係を築く“部分買取”による完全移籍【職業:サッカー代理人】

シリーズ:職業:サッカー代理人 text by 小澤一郎 photo by Getty Images

ブラジル人選手がプレーしやすい環境づくり

徳島加入当初は通訳が不在で苦しんだ
徳島加入当初は通訳が不在で苦しんだ【写真:Getty Images】

 稲川氏が「日本でブレイクする選手」という位置づけで徳島へと送ったドウグラスだが、前述の通り昨季広島へ期限付き移籍するまでは目立った活躍はなかった。徳島へ移籍した当初は通訳不在。また「ブラジル人らしからぬ」と言っては失礼ながら、稲川氏によると「真面目な性格で『やらなければ』、『結果を出さなければ』という気持ちが強すぎるあまり、徳島時代にはオーバートレーニング症候群みたいになってしまった」という。

 しかし、ブラジル人選手の目利きや移籍スキーム作りはもちろんのこと、ブラジル人選手が日本でプレーしやすい環境を整備することにかけても他のエージェントの追随を許さない稲川氏は、自らの会社スタッフを徳島に送り込みドウグラスの生活環境を整えた。

 2014年夏に京都へ期限付き移籍をすると川勝良一監督(当時)によってシャドーストライカーとしての適正を見極められ、京都でのプレーを見た広島が興味を示すまでのブラジル人選手となる。稲川氏は当時をこう振り返る。

「徳島時代も一緒にプレーする選手たちから『こいつは何者だ』とは思われていました。誰よりも高く飛ぶし、体は強いし、左足でものすごいキックを蹴れる。そういうことはやっている選手が一番感じるもの。性格が生意気だったらどうしようもないですが、彼はすごく謙虚でみんなに受け入れられながら育てられた。

 京都で川勝さんがシャドーのきっかけを作ってくれて、それを見た広島の織田(秀和)社長が『ドウグラスは面白い』となりました。森保監督としてもシャドーの選手に高さは欲しかったようです。ドウグラスもあれほど素晴らしいパスが来るチームにいたことがなかったのですごく楽しそうでした」

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