裏切りに近い解任。名誉会長の一言で決行
裏切りにも近い形で、ミハイロビッチはミランを追われた。十分でない戦力を切り盛りし、規律が不在だったチームを引き閉め、攻守に体を張って戦える集団へと作り上げていた努力は、「プレーの傾向がACミランの歴史にそぐわなかった」という会長の一言でストップさせられた。
それにしても、なぜブロッキという選択になったのか?「ベルルスコーニはずっと前から、彼のサッカーに惚れていたからだ」と『コリエレ・デッロ・スポルト』のフリオ・フェデーレ記者は言う。下部組織の事情にも精通するフリーのサルバトーレ・リッジョ記者も「トップチームでどうかはもちろん未知数だが、ポゼッションを重んじて攻撃的なサッカーをする、ベルルスコーニ好みの指導者であることは確かだ」と語った。
「会長は日頃から下部組織の様子にも目を配り、いつからか私の仕事にも興味を持ってくださっていた。決して自分から売り込んだわけではない」とブロッキ監督自身も会見で話していた。攻撃サッカーを実現する若き指導者に、アリゴ・サッキ再来の夢を託したということか。しかしこれもまた、単なる表向きの理由に過ぎないと前出のベテラン記者は言う。
「ブロッキに行った理由は2つある。一つは内部昇格だから金が掛からないということ。そしてもう一つは、ベルルスコーニに監督をさせてくれる人物ということだ。そもそもベルルスコーニは、ずっと前から影の監督をやろうとしていた」
確かに2年前、ブラジルで現役を続けていたクラレンス・セードルフを強引に説き伏せ、監督に就任させたのは他ならぬベルルスコーニだった。その後任も、プリマベーラで監督はしたもののトップチームでの経験はなかったフィリッポ・インザーギだ。
もっとも彼らは従順ではなかった。セードルフはハナから言うことを聞かず、最終的には選手からも反発を喰らう。最初は会長の意向を受けてポゼッションサッカーを始めたインザーギも、無理だと分かった時にカウンター主体のリアクションサッカーへと切り替えた。