マテュイディが語った、選手にとっての「あの日」
ハーフタイムには、やはり爆音を不審に思った観客が何人かスタンドから降りてきて、「何が起こったのか?」と聞きに来たが、パニックを避けるべく「何もない」とだけ告げてスタジアム内に返した。その頃から、スタジアム付近の3G電波は警備当局によって切られていたという。混乱を防ぐために外部と接触できないようにする警備上の作戦だ。
トゥーラバリー氏を含め、警備方針が適切だったために、7万の観衆は試合後もパニックに陥ることなく会場を後にすることができたのだった。
トゥーラバリー氏が、爆発したのは自分が入場ゲートで止めた男だったと知ったのは、後日、警察での取り調べに協力した時だったという。彼はその後もスタッド・ド・フランスで仕事を続けているが、あの日以来、スタジアムに近づくと涙が溢れ、爆発時の匂いが蘇るというトラウマに苛まれ、今はスタジアム内の警備に配置換えになっているらしい。実行犯が自分の横で自爆していたら、と考えたら身震いすることだろう。
あの試合に両親や妻、子供も会場に招いていたというマテュイディは、「ヒーロー以上の存在。あの状況でのあなたの冷静な行動に、心から感謝する」と称賛を惜しまなかったが、あの会場にいた筆者としても、トゥーラバリー氏には心底お礼を言いたい気持ちだ。
しかし彼はこうも言っている。
「同じようなことがまたあった場合、不審者がゲートを通過できる確率は50-50」
警備に「完璧」はないし、もしチケットを持っていたなら、ボディチェックを通過できていた可能性もあったかもしれない。
また、マテュイディの口から語られた、選手目線の「あの日」も興味深かった。
試合が終わるまではとにかくゲームにだけ集中していたが、スタンドの様子がおかしいことには気がついていたこと、試合が終わった後モニターに映されたニュースで事件を知ったこと、デシャン監督はショックに打ちひしがれ、選手たちに言葉をかけられる状態ではなかったこと、彼らは朝の3時までスタジアムに残り、クレールフォンテーヌの宿舎に帰った後も選手たちの話題は事件のことばかりで、その後皆が眠れない夜を過ごしていたこと……。