卑劣なプレーが頻発するかもしれないが……
ファウルすれすれのプレーやシミュレーションなどダーティな行為には否定的な意見も多いだろう。私もそれらのプレーは肯定できない。だが、100%の否定もできない。シリアの場合、日本とは背負っているものの種類が違うからだ。
日本とシリア、どちらも試合では勝ち点3を目指す。W杯出場も目標であり、将来的にはW杯優勝も視野に入れている。ここまでは共通しているが、その先を見据えた場合、大きく異なる。
国内でのさらなるサッカーの普及や豊かなサッカー文化の醸成を見据える日本に対し、シリア代表はぐらぐらと揺れる国そのもののを支え、国民の生きる希望を与える存在になろうとしている。
東日本大震災直後に多くのJリーガー、日本代表選手が「国民に希望を」と口にしたが、それと同様の気持ちを常に彼らは持っているのだ。
オマーンのゼファルでプレーするDFのハムディ・アルマッスリは語る。「良い結果を出したいという強いモチベーションを持って日本に来ている。その結果で国民と国を幸せにしたい」。
日本がベンチ外も含めて24人のメンバーなのに対し、シリアは17人しか来日していないが、イブラヒム監督は意に介さない。「今日はフォーメーションや戦術について話すつもりはない。もっと重要なことがある。それは秩序や規律だ。良いチームには秩序・規律が必要だ」。果たしてこれは誰かに向けてのメッセージなのだろうか。
お互いに勝利を目指しつつもまったく異なるものを背負い、まったく目指す先の異なるチームが対戦する。それもまた代表戦の醍醐味である。今日、シリアは死ぬ気で戦うだろう。ハリルジャパンがチーム強化を見据え、選手たちは生き残りを懸けたアピールに必死ななか、シリア代表は国を背負い、明日なき人々に明日を見せようとしている。
危険なタックル、シミュレーション、時間稼ぎがあるかもしれない。それらは卑怯、姑息と呼ばれるプレーである。だが、シリアにとってそれは、非常に些末なことなのだ。
(取材・文:植田路生)
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