対極にあるファン・ハールのサッカー
ルート・フリットがその言葉を用いるはるか以前から、クライフはサッカーを「セクシー」にしていた。ヨハン・ニースケンスやヴィレム・ファン・ハネヘムはが職人だったとしてもクライフはアーティストだったし、そのことに対して何の戸惑いを覚えもしなかった。
「自分自身のポケットから何かを盗み取るようなことはしたくない」と1971年に彼は話していた。「誰もが左派だった」とウィナーが記す時代に、クライフは自分だけの価値を認識していた。
マスコミとは非常にオープンな関係を築いていたが、彼の名前を利用して部数を稼ごうとするようなメディアのことは非難していた。非常に重要な意味がそこには込められていた。彼の意識の中では、スポーツにおける成功のためには個人主義と集団主義の両方が必要であると理解できていたということだ。
全員が機械の一部となり、数字で管理されるような、共産主義的ですらあるファン・ハール式のサッカーとははるかな隔たりがある。クライフの方がより自由な意識を持てていたことは間違いない。その幾何学的・空間的把握能力を活かし、14番の魔法のシャツを着た彼は何でも望み通りに実行することができた。
1974年ワールドカップ初戦のオランダ対スウェーデン戦で、何の準備もなかったヤン・オルソンに対して披露してみせた180度のターンは、彼の名を冠して語り継がれるプレーとなった。自身のチームのぎこちない中盤のサッカーが「あまり良くはない」と自ら認めるファン・ハールは、「クライフターン」に相当するような何かを持ってはいない。
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