監督からの冷遇乗り越え。アシストや正確なパスで攻撃の起点に
それにより、本田の出場機会は大きく減少した。それが昨年11月の時点での状況であった。スタメンはウインガータイプのアレッシオ・チェルチやエムバイエ・ニアンが試され、本田は試合終了間際に長くて15分程度、短ければ5分程度使われるだけに終わる。
10月にはクラブが低迷する現状と自らの境遇にフラストレーションをためた本田がクラブ批判を行っていたこともあり、「ミハイロビッチの冷遇」と見る向きもあった。
しかし本田は、そこから復活を遂げた。右サイドハーフのポジション争いに参入ができたからだ。チェルチやニアンは突破力こそアピールしたものの、守備の貢献がままならずチームを前後で分断させてしまう。ニアンは2トップの一角として定位置を確保したが、右サイドで決定的な信頼を確保したものはいなかった。
そこに本田が割り込めたのである。プレスに走り、守勢に回ればスペースを埋めてバランスを取り、ハイボールでも体を張るなど、他の選手にない利点をアピールした。そうして12月17日のコッパ・イタリア5回戦サンプドリア戦で、途中出場からカルロス・バッカのゴールをアシスト。サイドの競り合いに勝ち、マーカーを抜いた上でクロスを出したプレーからだった。
その3日後、リーグ戦のフロジノーネ戦で先発のチャンスを得た本田は勝利に貢献した。カウンターからの正確なパスでイニャツィオ・アバーテのゴールをアシストするのみならず、的確なパス出しで4点目の展開の起点にもなった。
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