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クライフと背番号14の数奇な縁。思わぬ偶然が作り出したサッカー界のアイコン

ひとたびヨハン・クライフのことを思えば、たちまち「背番号14」のイメージが喚起される。身につけた背番号とともに記憶されるフットボーラーは決して少なくないが、そのなかでも「14番といえばクライフ」、この図式は揺るがしがたい。“空飛ぶオランダ人”とも呼ばれたサッカー界のレジェンドがこの数字と結びついた所以とは。(文:トム・シーン/インディペンデント、翻訳:中山佑輔)

text by トム・シーン photo by Getty Images

デビュー当初は9番を背負っていたクライフ

1974年W杯決勝、オランダ-西ドイツ戦でのクライフ(左)とベッケンバウアー(右)
1974年W杯決勝、オランダ-西ドイツ戦でのクライフ(左)とベッケンバウアー(右)【写真:Getty Images】

 ヨハン・クライフは、背番号14のシャツと同義になっている。

 背番号10に対してペレやディエゴ・マラドーナがそうであるように、あるいは背番号9に対してアラン・シアラーがそうであるように、オランダ、アヤックス、バルセロナのレジェンドが他の背番号を身にまとうことを想像するのは困難だ。

 しかし、キャリア最初の6シーズン、4度のエールディビジのタイトル、2度のオランダサッカー連盟カップのタイトルを獲得し、個人としても多くの賞賛を得ていたクライフの思考の中に、背番号14は存在しなかった。

 実際、彼は1964年から1970年までの間、背番号9を身にまとっていた。当時のフットボール界では、1~11の背番号をスターティングメンバーが身につけるよう定められていたのだ。

 今やクライフのアイコンと化している背番号14を彼が身につけることになったのは、思いがけない偶然がきっかけだった。

 1970年の10月30日、PSVアイントホーフェンと対峙するゲームの前、クライフのチームメイトであるヘリー・ミューレンは、自身が普段着用している背番号7のユニフォームが見当たらなかった。するとクライフは普段使っていた背番号9のユニフォームをミューレンに渡し、予備のシャツが入っていたカゴの中から一番上にあったものを取り出しにいった。

 背番号14になったのは偶然だったのだ。

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