輝かしい実績の佐々木監督。しかし最後はゴシップが飛び交い……
第3戦で中国に勝ってさえいえば、何もかもが全く違っていたかもしれない。だが結局のところなでしこジャパンはリオ五輪出場を逃し、佐々木則夫監督がチームを率いてきた輝かしい時期は終わりを告げることになった。
2015年ワールドカップ(W杯)でチームが準優勝に終わった時点で退任の決断を下すべきだったのかどうかは別としても、佐々木監督の去り方はどこかほろ苦さを残すものとなった。57歳の指揮官が日本サッカーのために成し遂げてきた全てのことを考えれば、彼にはもっと別の形で見送られる資格があったはずだ。
日本代表を2011年W杯優勝に導いた元大宮アルディージャ監督は、愛情のこもった別れではなく、ドレッシングルーム内の不和などの噂がチームの周りに渦巻く状況の中でぎこちなく場外へ押し出されることを強いられた。ラストマッチとなった北朝鮮戦を1-0の勝利で終えた後、最後の記者会見でメディアに向けて次のように言い放ったほどだ。
「我々サッカーファミリーというのは、もちろん協会もそうですが、選手、サポーター、メディアの方も一緒になったものだと思う。勝った時は勝った、良かったね、という感じはありますけど、負けた時にゴシップのような記事の内容を書くのはスポーツ新聞じゃないと思う」
「第1戦と第2戦で勝ち点3を獲得することができなかった。それができていればチャンスはあったと思う。今日の試合での戦いぶりを見ていれば分かったはずだ。自分たちのリズムでやれれば違っていたかもしれない」