立候補取り下げに合わせて掲載されたインタビュー
たとえ2人の間の収賄が事実無根だったとしても、サッカー界にブラックなイメージを浸透させたことにおいて、FIFA、UEFA両会長の責任は小さくない。
そんな中、レキップ紙はプラティニの立候補取り下げのタイミングに合わせて単独インタビューを掲載した。
ミシェル・プラティニは、フランスサッカー界の英雄だ。
1984年の欧州選手権でフランスにタイトルをもたらした、彼こそがレ・ブルーの『10番』であり、稀代のファンタジスタだ。
組織側の人間となったあとは、メディアや世論も彼を崇めてばかりはいられなくなったのは事実だが、良くも悪くもカリスマに秀でたフランスサッカー界の重鎮である彼のために、レキップ紙が自身の言葉で語る場を設けたようにも受け取れた。
「この40年、人々は私を“大バカ者”だと言ってきた。まあ、世の中には自分のことを好きな人も嫌いな人もいる。だから今わたしがこんな状況にあることを喜んでいる人もいるだろう。しかし私はもう20歳の若造じゃない。酸いも甘いも経験した60歳だ」
と相変わらずのプラティニ節が炸裂。
今回の一連のスキャンダルについては、最も打撃を受けたのは自分よりも家族だったと、プラティニはこのインタビューの中で語っている。
「母はもう他界しているし、父親はまったく動じていないからいいが、問題は妻と子供たちだ。わたしの方が彼等を元気づけなければならなかった」
また、FIFA会長選に立候補したときの真意も打ち明けている。
「ブラッターが辞任したために押し出された形だったが、実際はUEFAに留まりたかった。必要に迫られて名乗りを挙げたにすぎない。誰かがFIFAでサッカーを運営していかなきゃならないわけで、候補者の中にはサッカーを知っている者は一人もいなかったからね」
それでも立候補を取り下げることになった理由については、
「有権者や人々に会いに行く、といった選挙活動をする余裕はなくなった。いまの私は、自分の身を“守る”ために翻弄しなければならない状態にある。」
と語った。プラティニはFIFA倫理委員会の決定を覆すべくスポーツ仲裁裁判所に控訴するなど、あらゆる手段を取る気でいる。