「心の叫び」を提供する松木解説のありがたみ
家族の者は、それぞれに忙しい。
気がついてみれば、子供たちが学校に通っていた頃みたいに、大勢でサッカーを見ることもなくなっている。
とすれば、
「おいおいおい」
「PKじゃないかぁ」
「よしよしよし。ははははははは」
「あぶないあぶない」
という、まるで解説になっていない松木さんの叫びが、一番ありがたい。
なんとなれば、松木安太郎のコメントの半分ぐらいは、解説というよりは、並んで観戦しているオヤジの奇声であり、歓声であり、怒声であるからで、本来のサッカー観戦というのは、実はリテラルな(文字化された)「情報」を収集する中で進行するものではなくて、叫びや、怒りや、歓喜の声が渦巻く感情の沼に首までどっぷり浸かる中で為される、著しく感情的な行為であるはずのものだからだ。
仲間とスタジアムに行った時、私は、批評的な観戦者ではない。戦術的なチェックをしているわけでもないし、個々の選手の技術的な問題点について考察を深めるために座席に座っているのでもない。
私たちは、デカい声を出し、立ち上がった拳を振り上げるみたいな、大人げのないオヤジに変身するためにチケットを買っている。
本当は、テレビの前でもそうでありたい。
ただ、一人でサッカーを見ていると、どうしても批評的になってしまう。それはそれで楽しくないわけでもないのだが、こっちがおとなしい分、せめて隣で喚いてくれるオヤジを配置してほしいわけだ。
結論を述べる。 「ウィー・ウォント・マツキ」
これが、今年のテーマだ。
リオ五輪の中継は、ぜひ、テレ朝のチームでやってほしい。松木&ゴンの黄金解説。
人間力の先生は、時々チャンネルを切り換えて確認してみたが、親戚の娘の結婚式でスピーチをしてる課長のスピーチみたいで、私はダメだった。
スタジアムは結婚式場じゃない。
むしろ、居酒屋だ。
We want Matsuki !
We want Gon !
君たちの力で、マラカナンをまるごと居酒屋に変えてくれ。
期待している。
【了】