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日本代表 9年前

松木安太郎の奇声解説をリオ五輪で求める理由【小田嶋隆の「日本サッカー」を、取り戻す】第2の矢

シリーズ:小田嶋隆の「日本サッカー」を、取り戻す text by 小田嶋隆 photo by Getty Images

一人でテレビ観戦する際に感じるさびしさ

 退院して、久々に自宅のデカい画面のテレビでJリーグの中継にチャンネルをあわせたり、代表戦や五輪予選の試合を見たりすると、自分のサッカー中継の見方が入院前とはずいぶん違ってしまっていることに気づく。

 おそらく、入院中に、たった一人で、タブレット&イヤホン視聴環境での試合中継視聴を重ねたせいだと思うのだが、私は、どうやら明らかにさびしがりやになっているのだ。

 つまり、視聴者としてのオダジマが中継スタッフに求めるものが、「情報」よりも「情緒」に偏ってきているということだ。

 具体的に言うと、入院前の半可サッカーマニアであった当時の私は、実況アナに、余計な感想を述べないストイックで正確な状況報告を求めていた。

 ボールホルダーの名前をきちんと伝え、できれば、パスの送り手と受け手の間に入ろうとして惜しいところでパスカットに失敗した敵方ディフェンダーの選手の名前とプロフィールも伝えてほしいといったような要求だ。

 解説者にも、その日のピッチ状態や、直前のゲームでのキープレイヤーのコンディションや、リーグの中のライバルの動向など、とにかく正確で詳細な情報を適切なタイミングで伝える仕事をこなしてほしいと考えていた。

 であるから、たとえば、宮本恒靖氏の冷静かつ的確なコメントや、NHKの野地アナウンサーの感情に流されない端正な実況ぶりを高く評価していた。

 ところが、入院中に孤独な観戦経験を重ねた私は、いつしか、その種の情報提供型のマニア向けの中継に疲労を覚えるようになっていた。

 あの種のスカパー型のきちんとした中継は、たとえば、かたわらに友人やら息子やらがいて、

「おいおい、そこはシュートだろ」

「やべえ」

 などと言いながら見るのには良い。ピタリとハマっている。

 でも、たった一人で見ているオレに、ただただ技術的だったり戦術的だったりする情報をささやかれ続けても、それはちょっと困るわけだ。

 具体的に言えば、さびしいのだよ。

 で、心に沁みるのが、松木解説だ。

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