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日本代表 9年前

松木安太郎の奇声解説をリオ五輪で求める理由【小田嶋隆の「日本サッカー」を、取り戻す】第2の矢

停滞感の漂う日本サッカー界。踊り場から再成長を遂げるためには何が必要なのだろうか? 我らが小田嶋総理が、「失敗の本質」を看破する。今回は、日本代表の中継でおなじみの「松木解説」を再評価する。

シリーズ:小田嶋隆の「日本サッカー」を、取り戻す text by 小田嶋隆 photo by Getty Images

テレビ観戦を重ねて思う、実況・解説陣に求めていること

実況・解説陣の語りはテレビ中継の重要な構成要素となっている【写真:Getty Images】
実況・解説陣の語りはテレビ中継の重要な構成要素となっている【写真:Getty Images】

 昨年の春に足を骨折して以来、まだスタジアムに行くことができずにいる。

 Jリーグのシーズンが始まったらぼちぼち生観戦の再開も考えているのだが、結局、振り返ってみれば、まるまる一年、スタンドからピッチを見渡す経験から遠ざかっている。

 その代わりに、というわけでもないのだが、骨折以来、テレビ観戦の頻度は上がっている。昨年の3月から7月まで続いた入院中は特にやることもないので、たぶん生まれて以来最大の密度でサッカーを見た自覚がある。

 大部分は、病室に持ち込んだiPadとモバイルWiFiの組み合わせで、WOWOWのリーガ・エスパニョーラ中継を観戦したわけなのだが、テレビ観戦でも、たくさん試合を見ると、やはり目が肥えるということはある。

 耳も肥える。

 というのはつまり、解説や実況アナの技術や目のつけどころについてのこっちの採点が厳しくなるということだ。

 が、それもまた変化する。

 どういうことなのかというと、何十試合もひとまとめにサッカー中継を観戦すると、画面の中で展開されているプレイを見る目と、イヤホンの中に聞こえてくる実況アナウンスを、ある程度別々に認識することができるようになるということだ。

 画面は画面で、実況や解説の声とは無関係に、自分の見方で見る。そういうことが可能になる。

 と、解説や実況にはろくに耳を傾けなくなる。というよりも、試合とは別の、雑談や豆知識を楽しむみたいな、聴き方になると言った方が良いのかもしれない。なんというのか、テレビ中継の楽しみ方が、ちょっと「ヒネて」くるわけだ。

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