河崎監督が乗り出した、チームのメンタル改革
最後の選手権を前に新たに下した決意。そして、ガンバの育成組織で身につけた高度なテクニック。これらが大橋のなかで融合した証が、1対1で迎えた玉野光南戦の後半34分に訪れる。
敵陣でセカンドボールを拾った大橋が、それまでのパスの散らし役からドリブラーへ豹変する。慌てて中央を閉めにかかる相手をあざ笑うように、左サイドをフォローするDF加藤貴也(3年)とワンツーを成立させる。
次の瞬間、右サイドの背後を突いていたMF根来悠太(3年)へ鮮やかなスルーパスを一閃。根来の低く速いクロスを、ニアサイドに詰めていた加藤が執念で押し込んだ。
一瞬の判断から流れるような攻撃をお膳立てした大橋は、満足気な表情を試合後に浮かべている。
「あの場面では後ろに下げてもいいかなと思っていたんですけど、相手が後ろから来ていたのでひとつ前へ運んで、相手の嫌なところに侵入しようと。そこで加藤とワンツーで上手く抜け出して、相手を真ん中に寄せたうえでサイドに振って、そこからクロスという自分たちの形を出せました。
セカンドボールを拾うことは常に意識していました。蹴ってくる相手というのはわかっていたので、ちょっと後ろ目にポジションを取って、そこから散らすとか、あるいは相手の急所を突いていくパスというのはずっと意識していました」
プレースキッカーとしての存在感も際立っている。玉野光南戦の同点弾と3回戦の中京大中京(愛知)の決勝弾は、ともに大橋の右足から放たれたコーナーキックとフリーキックから生まれている。
明徳義塾(高知)との準々決勝。試合の流れを大きく引き寄せたPKを獲得し、相手DFを一発退場させた根来の突破を導いたのは、中盤の底から供給された大橋の正確無比な縦パスだった。
「あの子は一番肝っ玉が座っているというか、物おじしない。まあ、打たれ強い子なので」
目を細めながら大橋を見つめる河崎監督の言葉から察するに、期待の裏返しとして、かなりのカミナリを落としてきたのだろう。攻守両面で存在感を増す大橋を中心に成し遂げた4大会連続のベスト4進出は、首都圏開催となった1976年度以降では韮崎(山梨)と国見(長崎)に次ぐ史上3校目の快挙となった。