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日本代表 9年前

澤穂希が神頼みをした1試合。なでしこジャパン“以前”の分岐点

text by 藤江直人 photo by Asuka Kudo / Football Channel , Getty Images

アテネ五輪に向けたリハビリを支えた仲間たち

 日本女子代表の知名度をさらに高め、発展につなげようという思いから愛称を公募することも決定。約2700通の応募のなかから、「なでしこジャパン」に決まったのは7月7日だった。

 浴衣姿で発表会見に臨んだのは、澤をはじめとする5人。笑顔で短冊に夢を書き込んだ澤だったが、実はアテネ五輪出場が危ぶまれるほどの状態を、必死のリハビリで克服していた。

 北朝鮮戦の2日後に行われた中国女子代表との決勝戦を、澤は欠場している。右ひざの痛みは限界を越えていた。当時所属していた日テレ・ベレーザへ戻り、精密検査を受けた。右ひざ半月板の損傷。全治2ヶ月で、すぐに手術が必要と診断された。

 体にメスを入れるのは生まれて初めてだった。全治とは傷が治るまでの時間で、そこからフィジカルコンディションや試合勘を含めて、すべてを元に戻さないとアテネ五輪の初戦、8月11日のスウェーデン女子代表とのグループリーグ初戦のピッチには立てない。

 胸中に不安が渦巻くなかで、毎日のように仲間たちが励ましてくれた。リハビリにつきあってくれた選手もいた。所属チームの垣根を越えて、アテネを目指してともに戦ってきたチームメイトたちもエールを送ってくれた。

 実戦復帰を果たしたのは、「なでしこジャパン」が発表された4日後の7月11日。ゴールまで決める完全復活。驚異的な回復に導いてくれた存在を、澤は引退会見の席で「選手生活における一番の支えだった」と位置づけている。

「手術を要するほどの大きなけがでしたし、アテネへ行けるのかという不安もありました。そのときに『大丈夫だよ』と声をかけてくれた仲間がいて、リハビリを手伝ってくれたドクターやトレーナーがいた。『大丈夫だよ』というひと言は、私にとってすごく励みになりました。本当にたくさんの仲間に支えられて、乗り越えることができました。

 一番の支えはやなり仲間ですね。仲間がいなければサッカーもできないですし、自分自身のプレーを生かしてももらえない。本当に辛いときにみんなが支えてくれたし、楽しいときはみんなで笑い合いました。最高の仲間がいつもそばにいてくれたから、本当に頑張れたサッカー人生でした」

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