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日本代表 9年前

澤穂希が神頼みをした1試合。なでしこジャパン“以前”の分岐点

text by 藤江直人 photo by Asuka Kudo / Football Channel , Getty Images

「困ったときには私の背中を見て」

澤穂希が神頼みをした1試合。なでしこジャパン“以前”の分岐点
右膝にテーピングを巻き、アテネ五輪予選北朝鮮戦に臨んだ澤穂希【写真:Getty Images】

 使命感と責任感が、満足にプレーできる状態ではなかった澤の体を突き動かす。北朝鮮戦の開始直後。味方がボールを奪われ、カウンターを仕掛けられそうになった直後に、青いユニフォームが奪い返す。強烈なショルダーチャージを見舞い、相手を吹っ飛ばしたのは澤だった。

 澤が残した名言のひとつに、いまも伝説として語り継がれるものがある。

「困ったときには私の背中を見て」

 ベスト4をかけて、開催国の中国と完全アウェイの状況で戦った北京五輪の準々決勝。キックオフ直前の円陣で発したとされる言葉だが、アテネ五輪をかけた北朝鮮戦で見せた背中も頼もしく、チームメイトたちを勇気づける存在感を放っていた。

 もっとも、澤自身は北朝鮮戦そのものの記憶が曖昧だという。集中力が極限まで高まっていたからか。ただ、入場したときのスタンドの光景だけははっきりと覚えている。

 公式入場者数は3万1324人。日本サッカー協会も大学などに必死に呼びかけていたが、そうした動員作戦以上に、日本女子代表が見せてきた健気で、ひたむきな戦いの軌跡に胸を打たれたファンやサポーターが声を届けようと続々と足を運んだ。

 それまでの女子サッカーでは起こり得なかった光景を実現させた一人に、日本体育大学に入学したばかりの川澄奈穂美がいた。下馬評を覆し、3対0の会心の勝利でアテネ五輪出場を決めた90分間を共有したスタンドで川澄は「いつかは必ずあの舞台で、澤さんたちと一緒にプレーしたい」と夢を描く。

 受け継いだバトンをアテネの舞台へつなぐだけでなく、次の世代へも託すきっかけとなった北朝鮮戦は、川淵三郎キャプテンをはじめとする、日本サッカー協会の幹部たちにも歓喜の涙を流させた。

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