W杯優勝という「光」と対照的な暗黒時代
眩い輝きを放つ光があれば、比例するようにコントラストを描く影もある。人生の半分を軽く超える、22年に及んだなでしこジャパンでの日々。レジェンドの脳裏を、走馬灯のように思い出が駆け巡る。
約300人のメディアが集結し、20台のテレビカメラがその表情を追った17日の現役引退会見。午前中に神戸市内で行われたチームの練習を終えて、午後に東京都内に移動してひな壇に座った澤は、サッカー人生で最高の瞬間として2011年7月18日をあげた。
「やはり皆さんも記憶に新しいというか、2011年のドイツ・ワールドカップで優勝したことが、日本女子サッカーの歴史を変えた日でもあるので。私にとっても日本女子サッカーにとっても、あの日は本当に忘れられない1日だと思います」
過去に一度も勝利したことのないアメリカ女子代表との決勝戦。延長後半の終了間際に自らのゴールで追いついてもち込んだPK戦で奇跡を起こした。時差の関係で未明だった日本列島を歓喜の渦に巻き込み、涙させた偉業が「光」であることは容易に察しがついた。
ならば、もっとも辛かった瞬間、つまり「影」はいつだったのか。レジェンドは迷うことなく2004年4月24日をあげた。その日は午後7時20分から、国立競技場での大一番がキックオフを迎えていた。
日本サッカー協会が日本へ招致したアテネ五輪アジア最終予選。参加した11ヶ国に与えられた五輪切符はわずか2枚。決勝戦に進む2ヶ国がアテネ行きを決められるなかで、準決勝で激突したのがそれまで一度も勝ったことのない難敵、北朝鮮女子代表だった。
神妙な表情を浮かべながら、澤が記憶の糸をゆっくりとたどる。
「つらかったといえば、個人的にはアテネ五輪の前のアジア予選で、北朝鮮に勝たないとアテネへ行けないという大事な試合のときに、私自身、ひざのけがをしていて出場も危ぶまれたときですね。ストレスでじんましんができましたし、あのときは心も体も本当に大変だったかなと」