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Jリーグ 9年前

浅野拓磨の成長をもたらした、「同期」野津田岳人との相乗効果

text by 竹島史雄 photo by Getty Images

すれ違いの2014年を経て芽生えた信頼感

 彼らにとって2年目シーズンの始まりとなった、2014年2月22日(ちなみ青山敏弘の誕生日)。天皇杯優勝の横浜F・マリノスとの富士ゼロックス・スーパーカップで、野津田のスルーパスから浅野がワンタッチゴールでプロ初ゴールを奪った。

 浅野と野津田の、ホットラインといえるあうんの呼吸と縦へのスピードを公式戦の舞台で垣間見せた瞬間である。それでもこの年は、同じ時期に存在感を示すことのないすれ違いの一年となった。

 チームはリーグ8位とJ1王座から陥落し、怪我が続いた浅野は11試合に出場したのみ。野津田もルーキーイヤーを下回る18試合出場と2ゴールにとどまった。

 当時のU-21日本代表で9月のアジア大会に野津田が出場するも、浅野は選出されず。一方で野津田の選ばれなかった12月の東南アジア遠征で、浅野はゴールとアシストを記録して印象を残した。

 だが、二人が発する言葉は変わってきていた。浅野は「岳はタイミングを分かってくれる」、野津田も「拓磨はやりやすい」と評するようになっていた。

 サンフレッチェが3年ぶりにACL出場権を失った2015年のプレシーズンキャンプ。リーグタイトルを手放した広島の評価をさらに下げたのが、高萩洋次郎と石原直樹という二人のシャドーの放出だった。

 森保一監督が打ち出した方針は「競争でのチーム強化」。浅野と野津田が主力流出をチャンスととらえていることは、その表情に現れていた。

 2015年のプレシーズンキャンプの練習試合京都サンガ戦で、浅野はハットトリックの猛アピール。ワントップではなくツーシャドーの一角としてではあったが、森保監督は浅野に開幕戦先発の切符を渡した。浅野はマルチな才能と高いモチベーションで、エース佐藤寿人との共存の機会を手にした。

 チームは開幕連勝を飾るも、浅野はU-22のテストマッチでクラブを離れた間に、先発の座を失う。一方で野津田は、開幕戦に先発した森﨑浩司と調子を上げる柴崎の前にアピールのタイミングを失う。

 浅野のJ1初ゴールはそんなタイミングで決まった。キャンプからの切磋琢磨に、チームが手ごたえを感じていた春の歓喜だった。

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