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Jリーグ 9年前

浅野拓磨の成長をもたらした、「同期」野津田岳人との相乗効果

text by 竹島史雄 photo by Getty Images

選手権得点王のタイトルをひっさげて加入した浅野

 地の利を活かして、一歩先を行く同級生に、闘志むき出しで、“敵対心”をあらわにしたのが、名門・四日市中央工業高校から2013年に加入した浅野拓磨だった。

 高校2年生時に全国高校サッカー選手権全試合ゴールの得点王。3年時は、元日に全国ニュースで特集が組まれたほどだ(7人兄弟妹の3男というハングリーさ、優勝を置き忘れたストライカーというストーリーは日本的な珠玉の家庭ドラマでもあり)。

 高校サッカー界の注目株・浅野は、広島のエース佐藤寿人が得点王をとった翌年にもかかわらず「すぐにゴールして、すぐにメンバーに名を連ねると思っていた」と言うほどの自信と決意で、故郷の三重県から西に下ってきた。

 事実1次キャンプでは、全国高校サッカー選手権で身体が仕上がっていたこともあり、ハーフコートゲームでは同郷の先輩でもあるDF水本裕貴をスピードで振り切ってゴールする勢いも見せた。

 水本は当時「この時期に反則だ」と苦笑したほどである。寒い時期の開幕ダッシュを求められるACLで起用すべきとの声があがったほど、浅野もルーキーイヤーから期待を寄せられた。

 広島駅の北口にあるサンフレッチェ広島の若手寮。当然浅野と野津田の二人はそこからプロ生活をスタートした。毎朝同じマイクロバスで練習場に通い、トレーニングして、共に帰る。

 しかし加入当初は、練習場で二人が表立って会話するところを見たことがなかった(だけかもしれないが)。

 コメントで相手をほめない態度からは、お互いを“ライバル”と認めようともしないほどの、己が先にスターにのし上がってやるという、敵意にも似た感情でもあるのか?とこちらが気をもむほどの空気がむき出しだった。

 野津田は、高卒ルーキーイヤー2013年の早くも5月にJ1初ゴールを奪う。いっぽう浅野は、野津田がゴールしても「悔しい」と公言していた。

 浅野は腰を痛め、ACLでの切り札と目されていながら、タイミングを逸する形でアピール機会を逃すというルーキーイヤーを過ごした。

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