高いレベルに進むよりも、仲間と一緒に戦うことの大切さを息子に知ってほしかった父の思い
フットサルの方では、小学5年時にバーモントカップへ出場して3位。6年生中心のチームで5年生の金崎が大活躍していたことは、後にサッカー界の話題となった。
「夢生がフットサルでレギュラーになったのは5年になってから。ひとつ上はうまい子が揃っていたけど、彼らに臆することなく向かっていきましたね。低学年の頃から常にワンランク上の環境で戦ってきた影響も大きかったと思います。今の夢生はファーストタッチで敵の近いところにボールを置いて、独特の仕かけをしますけど、それもフットサル仕込み。どう飛びこんでいけばいいかと相手を迷わせるプレーは、少年時代に磨いた一番の武器でしょう」(澤田監督)
フットサルでそれだけ名を馳せたのだから、中学生になってもクラブに残る選択肢はあった。U-12ナショナルトレセンにも選ばれており、他のクラブからも注目されていた。しかし、金崎はそういうチームを選ばず、あえて地元の東観中学校のサッカー部に入ってプレーしようと決意する。
「地元の普通のクラブに入るか、津ラピドの中学生チームに行くか、どうするか迷いましたけど、結局は部活動をやろうかと。学校生活を楽しんでほしいという親の思いも大きかったですね。僕は学校終わってすぐに塾へ通う生活も嫌いだったし」
本人はこう語るが、父・益己さんは中学で仲間と一緒に戦うことの大切さを息子に知ってもらいたかったのだと、その言葉に隠された意味を教えてくれた。
「夢生はトレセンに入ってましたし、高いレベルのサッカーを学ぶ機会はたくさんあると思いました。でも自分たちで何とかしなければいけないことを学ぶチャンスはそうそうない。中学の部活動の環境が厳しいことはわかっていましたし、それでも自発的に何かをやるという経験をしてほしかったんです」
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