蘇る苦い思い出…敗戦が優勝の糧に
苦い思い出がある。昨年10月5日。ホームのカシマスタジアムにガンバを迎えたJ1第27節で、パトリックが仕掛けてくる空中戦と肉弾戦の攻撃のターゲットに定められた。
2度のリードを奪うものの、オウンゴールとパトリックのゴールで追いつかれる。迎えた後半のアディショナルタイム。途中出場のFWリンスに勝ち越しゴールを決められて万事休した。
メンタル的に打ちのめされた昌子は、肉体的にもダメージを負ってしまう。初招集されていたハビエル・アギーレ前監督に率いられる日本代表を、右太ももの負傷で辞退せざるを得なかった。
同じ失敗は二度と繰り返さない。パトリックとのタイマン勝負の行方はアントラーズの勝敗を左右するだけでなく、この1年間に刻まれてきた昌子の軌跡が正しかったことを証明するものでもあった。
「ウチで言う左に流れてくるプレーを出させないために、わざと自分が一人だけ下がるなど、いろいろな駆け引きをしたつもりです。あれだけヘディングが強いので、たとえば常に先にジャンプしようとか」
米子北高校から入団して4年目の昨シーズンから、昌子はディフェンスリーダーを拝命した。それまではリーグ戦での先発がわずか1試合。清水エスパルスを下した2012年シーズンのナビスコカップ決勝では本職のセンターバックではなく、左サイドバックとして大前元紀を止める役割を担ったこともある。
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